先輩の声

綿打ち職人

綿は、気温や湿度で重さが変わるんです。

橋本

カード機で製綿作業を行うのが私の業務です。入社以来、10年ほどこの仕事を続けています。

「手に職をつけていたほうが就職に有利だよ」という親のアドバイスもあり、工業機械系の高校に進学しました。専門学校を経て、機械の知識や経験が活きる森製綿所に入社しました。

仕事は前任の先輩から教えていただき、徐々に覚えていきました。綿はその日の気温や湿度によって重さが変わります。機械の動きは一定でも、綿の量を人の手で加減しなければ同じグラム数の玉綿に仕上がりません。その勘所を押さえるまでが至難の業で、始めて1年ぐらいは試行錯誤を繰り返していたと思います。だからこそ、製綿された綿が機械から出てくる瞬間は今でもわくわくするというか、気持ちが高まる瞬間です。

朝礼をして夕方5時に退社するまで、ほとんど機械の前にいます。ただ、ずっと同じ作業というわけではありません。商品によって使う綿が違いますし、打ち直しの綿もあるので、都度入ってくるオーダーに従って作業を進めます。平均して一日に約100kgの製綿をしています。パートで手伝ってくれる方もいらっしゃいますが、基本的には私一人で綿打ちを行っています。

機械と向き合って黙々と製綿をしていく今の仕事は、自分に合っていると思います。森製綿所の看板でもある綿を、良い品質で仕上げていくことに今後も注力したいと思っています。

布団職人

世界を相手に仕事をしていることを誇らしく思う。

木島

茨城の結城で勤めていた会社を辞め「どこで働こうか」と思っていた頃、親戚でもあるこの森製綿所で働くようになりました。自動車免許を持っていたので、初めのうちは車で都内の布団店に玉綿を配達していました。その後、当時の社長から「仕立ての仕事を覚えないか」と言われ、年上の職人さんから仕事を教えてもらうようになったのが25歳の頃です。

一時は別の仕事に移ったこともあります。2000年に差し掛かる頃、中国から安い大量生産の寝具が入ってきて、手作りの時代は終わるのだろうと思ったのです。江東区内にたくさんあった布団屋さんも次々と廃業し、マンションになっていきました。私は40代後半でこの仕事を辞めて、社団法人に入りました。

ところが3〜4年前、「布団を仕立てられる職人がいないので戻ってきてほしい」と声を掛けられ、仕立ての仕事に復帰しました。聞けば「世界を相手に仕事をしている」と言うのだから驚きましたね。

最近は欧米だけでなく東南アジアからの注文も多く、ニーズに合わせて商品も増やしています。たとえば、縮の掛け布団は生地の表面に凹凸があり肌に密着しません。風通しが良いので、東南アジアのように暑く湿度の高い地域の生活には合うでしょう。

品物や大きさにもよりますが、一日に18枚ぐらいは仕立てているでしょうか。身体が覚えているというか、あまり考えなくても良い仕立てができているのは長年の経験の結果だと思います。

辞めようと思ったことはないかなあ。ここに来る前に会社勤めも経験していますが、やっぱりものづくりのほうがいいですね、私は。ここで働くことを誇らしく思います。

より良いものを作りたい、という気持ちが原動力。

佐藤

以前から「ものづくりがしたい、職人になりたい」という気持ちがあり、和裁の学校に通っていました。その後、布団職人の募集を見つけて入ったのが前職の会社です。布団の仕立ては未経験だったので、布団屋さんに毎週2日通って技術を習得しました。

10年ほど勤めた後、転職を考えるようになり、偶然見つけたのが森製綿所でした。転職を決めた際は布団職人を続けようとは思っていませんでしたが、ものづくりは変わらず好きでしたし、せっかく学んだ技術を活かしたいとも思っていたので、これも何かの縁だと思い、働き始めました。

前の職場では一日中布団を作っているわけではなく、ひと通りは作れるけれど技術は未熟、という状態でした。森製綿所に入って初めの数ヶ月は見習いのような感じで、師匠に教えてもらいながらひたすら手を動かしました。何年も修行を重ねるうち、最近は「入った頃よりは上手になってきたかな」と思えるようになってきました。

森製綿所の職人は、一人ひとりスタイルが違います。もちろん基本は同じですが、折り方や綿の引き方が少しずつ違うのです。彼らの良い部分を真似して、私のやり方に取り入れていくのが楽しいです。

毎日、「次は上手に縫うぞ」と思いながら仕事を続けています。もっと技術を向上させたい、より良いものを作りたいという気持ちがモチベーションになっています。手仕事はすぐに上達するものではないので、コツコツと努力を重ねるのが好きな人のほうがこの仕事に向いているかもしれません。私も最初はまったく分からないままこの世界に飛び込みましたが、めげずに挑戦し続けた結果が今なのだと思います。

サステナブルな綿布団は日本古来のリサイクル文化。

鴻巣

ここに来る前は廃棄された羽毛布団を回収する仕事をしていました。よほど汚れていない限り、羽毛布団の羽根はきれいに洗浄すればまたふんわりして再生できるんです。ちょうどサステナブル、SDGsという言葉が聞かれるようになった頃で、再生羽毛にも注目が集まっていました。

実は、若い頃はファッション誌の広告営業をしていました。出版の仕事は関わる人も多く刺激的でしたが、流行を追い続けなければならない分、消費的な感覚も強かったです。私自身、遅くに子供を授かったこともあり、漠然と「次世代に役立つことをしたい」と思い布団回収の仕事に転職したのです。

羽毛布団の回収をやっているうちに「日本古来のリサイクル文化といえば羽毛より綿ではないか」と思うようになりました。聞けば布団職人は年々減っているとのこと。65歳で定年を迎えるのではなく、手に職をつけて長く働きたいと思っていたので、50歳を過ぎて森製綿所の門を叩きました。

職人歴はようやく3年を迎えたところです。今は日々できることが増えていくのが嬉しいですね。毎日同じ作業を繰り返しているうちに自分の中で技術が洗練されていって、昨日までできなかったことができるようになる瞬間があります。やり方を昨日と少し変えるだけで仕上がりがぐっと良くなったり、布団の仕立てにはそういう面白さがあります。

今の目標は、ひと通りの商品がどれもきれいに、早く作れるようになることです。でもそれは永遠の課題というか、10年やっても20年やっても満足することはないのだろうな、とも思います。職人とはそういうものなのでしょうね。

布団職人(補佐)

好きな裁縫が仕事になることにやりがいを感じます。

私は綿の入った布団の縁を縫って綴じる、仕上げの作業を専任でやっています。綿入れだけをしている人もいて、分業して布団を作っているという感じです。子供がいるので、会社と相談して朝9時半から夕方の4時半までの時短勤務にしてもらっています。

大学時代は美術系の学校に通っていて、油絵を専攻していました。もともと自分の手を使うことや物を作ることが好きで、そういう仕事に就きたいと思っていたのですが、外国籍ということもありなかなか見つからなくて。森製綿所の募集を見つけて応募したときも「無理かもしれない」と思っていたので、採用の連絡が来たときは嬉しかったですね。

2年ほどこの仕事を続けていますが、縫う仕事は毎日楽しいです。家でも娘のワンピースを作ってあげたり、縫い物をよくしているんです。自分の技術が役に立つこと、しかもそれでお金を稼げるということはやりがいがあります。また、家庭の事情に合わせて働き方も相談させてもらえる点もありがたいです。森製綿所には、私以外にもパートタイムで働く人がたくさんいますよ。

今は一日に7〜8枚の布団を仕上げています。本当はもう少しスピードアップできたらなと思っています。1枚にかける時間を短縮して、たくさん仕上げられるようになりたいです。

梱包

自分のペースで作業ができて、働きやすいです。

佐藤

以前は食品工場で働いていたのですが、コロナ禍で仕事がなくなってしまい、たまたま見つけた森製綿所で働くようになりました。もうすぐ3年になりますね。

私の役割は、できあがった布団を検品し、袋詰めして梱包・出荷することです。午前中は前日にできた布団を検品して袋詰め、梱包。カバーやブランケットなどの小物も扱っているので、それらのピッキングもします。午後は在庫を確認しつつ、お昼までにできた布団の検品などをします。検品はエアーで綿や埃を飛ばして、商品が汚れていないか、傷が付いていないかをチェックする作業です。ごくまれに職人さんが房を付け忘れていることもあるので、隅々まで確認します。

コロナが落ち着き始めて、前職の会社から「戻らないか」と言われたのですが、断りました。誰かに合わせるのではなく、持ち場を一任してもらえる今の環境のほうが働きやすいので。どの作業をどの順番で進めるか、自分のペースで作業ができるのはありがたいです。

出荷数は毎日10件前後、多いときは20件近く出荷することもあります。海外出荷分は年々増えていますね。布団屋さんがどんどん減っている中、ネット展開してさらに事業を拡大しているお店はなかなかないですよね。自社のことではありますが、素直に「すごいな」と思っています。

国内営業担当

得意分野やできることを尊重し、チームで働く。

工藤

森製綿所のデスク周りを担当しています。国内の受注関連のお問い合わせ対応と原材料の発注、出荷のアシストに入ることもあります。

東京都の就業支援制度を利用した際、たまたま出会ったのが森製綿所でした。それまでは飲食店などで働いており、まったくの未経験です。趣味でパソコンを組み立てたことはありましたが、ECサイトの運営や事務作業は入社してから少しずつ身につけていきました。

今ではパートタイム勤務のメンバーと分担して業務を回しています。ECサイトの在庫管理や、仕様・価格の変更など細かな更新は私が行いますが、新商品を追加したり、商品写真を撮影したりという仕事はパートの方々にお願いしています。デザインや海外対応など、限られた時間の中で各人の得意分野を活かして働いている心強い仲間です。

この会社には、自分のやれる範囲のことは任せてもらえる環境があります。お問い合わせ対応での判断も、報告や相談はするものの、基本的には私に任せてもらっています。最近では、新しい布団の生地の柄も選ばせてもらっているんですよ。年末に追加した動物の柄は国内外を問わず人気で、注文も順調に入っています。こうして仕事を任せてもらえるとやりがいが感じられますし、自分で仕事の段取りが組めるとスムーズに仕事が進められるのでありがたいですね。

海外対応

海外との慣習の違いに気をつけてご説明しています。

図師

私の役割はカスタマーサービスです。主に海外からのご注文やお問い合わせを担当しています。お問い合わせが一番多いのはアメリカで、次にシンガポールです。基本的には英語でのやり取りですが、英語圏以外からのお問い合わせにはAI翻訳ツールを使って返信します。化学薬品を使わない天然素材の寝具は世界的にも少ないようで、オーガニック素材に関する質問を頂くことが多いですね。

昨年までは東京に住んでいましたが、家庭の事情で東北に転居し、現在はリモートで森製綿所の仕事をしています。ここ数年はリモートワーク化が進み、出社頻度も減っていたので、移住が決まった際に「リモートで仕事を続けさせてもらえないか」と相談し、快諾していただきました。会社の方々とはSkypeのメッセージや通話を使って連携していますが、2ヶ月に1回は東京に出社して、現場にいないとできない業務や確認を行うようにしています。

英語圏で ”futon”と言うと一般的にソファーベッドを指します。そのため、私たちの商品がお客さまの求めているものと合っているか、必ず事前に確認します。また、シングルサイズの寸法も国によって異なるので、そういった文化、慣習の違いには気をつけています。商品を展示するショールームが海外にできると良いですね。実物を見て、良さを実感して買えるので。何より、日本独自の布団という文化を紹介するのは面白いです。