沿革・歴史

大正6年創業

昭和21年頃の本社

森製綿所は、大正6(1917)年に江東区大島で創業しました。

ときは第一次世界大戦の真っ只中、世間は大戦景気と呼ばれる好況で各種工業が盛んな時代でした。創業当初は自動車用シートの中綿製造を主な事業としており、大手自動車メーカーに納めていました。

大正12(1923)年9月1日に起きた関東大震災により大島の工場が焼失すると、自宅のあった江東区東陽町に工場を再建しました。以来100年にわたり、森製綿所は東陽町で製綿業を営んでいます。

  • 1917大正6年

    東京江東区大島にて製綿業を始める。創業当初は、自動車用シートの中綿製造を主な事業としておりました。

  • 1923大正12年

    関東大震災により工場全焼

  • 1924大正13年

    東京江東区東陽町に工場を再建

昭和初期〜

第二次世界大戦が始まり、物資が少なくなってくると、森製綿所では製綿業の傍ら、洗い張りをするようになりました。当時の日本において綿は高価なもので、布団を質に入れる人もいたといいます。

やがて戦況が厳しくなると、千葉県長生郡に疎開しました。工場が戦火で焼失し機械を持ち出すことはできませんでしたが、原綿をリヤカーに積んで疎開先へ運び込み、成東町(現・山武市)の布団店で打ってもらっていたそうです。

  • 1945昭和20年

    戦災のため工場焼失、翌年には工場再建

戦後〜昭和後期

製綿機械

戦後は再び江東区に戻り、布団綿の製造に注力しました。日本は高度経済成長期へと突入し、産業が再び活気を取り戻しました。戦後は、打ち直しを必要としない合繊綿を使った洋布団が大流行。それに伴い、昭和45(1970)年頃には日暮里にあった大手寝具店の工場が解散したため、従業員と資材の一部を森製綿所で引き受けることとなりました。

時を同じくして昭和46(1971)年、紫色は冷めやすいことから縁起を担いで「紫ふとん」ブームが寝具業界に巻き起こります。森製綿所も例に漏れず多忙を極め、和綴じミシンをはじめさまざまな機械を導入して効率化を図っていました。ピーク時は20名近い社員が勤め、近隣の社宅や工場に住み込みで働いていました。

  • 1962昭和37年

    株式会社森製綿所設立

  • 1963昭和38年

    複式製綿機を導入

  • 1966昭和41年

    メタリックカード綿を導入

  • 1974昭和49年

    西川安眠工業解散により、社員・資材を吸収合併

  • 1977昭和52年

    JIS工場規格を取得

平成〜令和

免税店

昭和末期から平成に差し掛かる頃、ライフスタイルの変化により和布団の需要が減り始めると、森製綿所は工場の面積を約半分に縮小。機械から従来の手作業へと転換しました。しかし同時に、森製綿所は問屋を介さず小売店へ玉綿の直接発送を始めたことでターゲットを全国に拡大。事業を維持することができました。

また、機械から手作業へと転換したことでお客さまのオーダーにも柔軟に対応できるようになりました。個人のお客さまのほか、他社で対応が難しい大判の座布団などの注文も舞い込んできます。国内の名だたる高級旅館や料亭、寺社、劇場・演芸場なども森製綿所のお客さまです。

ホームページを開設してからは海外からも問い合わせが来るようになりました。現在は海外向けのブランド「FUTON TOKYO」を立ち上げ、アメリカやシンガポールを中心に海外のお客さまにも喜んでいただいています。

  • 2008平成20年

    経済産業省主催 KANSEI パリに出展

  • 2009平成21年

    経済産業省主催 KANSEI アメリカに出展

  • 2019平成31年

    エコテックス認証をうける。

  • 2022令和4年

    江東ブランドに登録

  • 2023令和5年

    GOTS認証を受ける。
    『FUTON TOKYO』国内商標登録
    『FUTON TOKYO』米国商標出願

  • 2024令和6年

    「江戸東京きらりプロジェクト」モデル事業に選出